中日本レガッタと関ケ原

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先週末ですが、夫が愛知池で行われる中日本レガッタに出場するため、応援に行ってきました。
ですが、土曜日はレースが16時頃だったので、朝早くに行って、念願だった関ケ原を観光することにしました。
関ケ原観光は大変充実しており、先にそちらを紹介すると夫のレースがおまけのようになってしまう恐れがあるので、先にレースを紹介します。
あくまでレースの応援がメインです。

今回夫は、シングルスカルとダブルスカルのダブルエントリーで出場しました。

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シングルは残念ながら3位でした。

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ですが、その直後に出た栗原君とのダブルでは、見事優勝することができました。

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ちゃっかりカップを持たせてもらいました。

親友の滝島先生は旦那さんが愛知にいて家も愛知池のすぐ近くにあるので、土曜日の夜はお邪魔して夕飯をご馳走になってしまった上に、帰りは名古屋のホテルまで旦那さんが自動車で送っていってくれました。
本当に優しいご夫婦です。
どうもありがとう!

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さて、土曜日は朝8時30分頃には名古屋に着き、そのまま関ケ原に向かいました。
関ケ原は週末だというのにほとんど観光客もおらず、風は若干強くなりましたが良い天気で、絶好の散策日よりでした。

関ケ原に初めて降り立ち、わくわくしながら外に出てみると、駅の目の前に観光案内所がありました。
その前には、「天下分け目の地 関ケ原を歩いて感じる 関ケ原合戦 史跡めぐり」という地図と、合戦に参戦した武将たちの家紋スタンプがあり、めちゃめちゃ興奮してきました。

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スタンプを全て押し、いざ出陣。
この地図に出ている「史跡めぐり 推奨ルート」の通りに、時間が許す限り回ることに決めました。
全工程21カ所、距離13km、所要時間徒歩3時間半です。

さすが推奨ルートになっているだけあり、行く先々で次の場所の案内表示がいくつも出ており、お蔭様で方向音痴の私でもほとんど迷うことなく、地図と案内表示だけで回ることができました。

歴史民族資料館で時間を費やしすぎてしまったせいで、推奨ルートの2カ所、脇坂安治陣跡と本田忠勝陣跡には行けませんでしたが、私は石田三成の西軍好きだし、脇坂さんは小早川とともに裏切り者なので、まぁいいやとすることにしました。

4時間ほどかけて実際に歩いてそれぞれの陣のあったところを回ってみて、歴史上で勉強する限りではすごく広い範囲で行われているように思っていましたが、やっぱり歴史上の武将たちも人間で、意外と近い距離で行われていたのだということで身近に感じることができました。

まず、駅から一番近いところにあったのが、松平忠吉・井伊直政陣跡および東首塚です。

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彼らは、東軍の先鋒福島正則の制止を振り切って最初に宇喜多隊へ発砲したが、福島正則もすぐ宇喜多隊へ発砲したので、彼らは島津義弘隊を追撃。
ここから関が原の合戦はスタートしました。

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東首塚は、戦後、戦死した兵士たちが埋葬されたところです。
西首塚もあります。

続いて、田中吉政陣跡へ。
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この人の家紋は熊倉家の家紋と同じだったのでびっくりしました。
ここから北北西に位置する笹尾山の石田三成の陣に向かって兵を進めました。
戦後、敗走した三成を捕らえたのもこの人の兵だったそうです。

次は、徳川家康の最後の陣跡です。
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最初家康は東軍の陣のもっと後ろにある桃配山に陣を置いていましたが、西軍東軍一進一退の攻防戦が続いたので、ここまで動いてきて、松尾山の小早川秀秋の陣に発砲を命じたそうです。
それで、小早川は西軍を裏切ることになったそうです。
合戦後には床几場で引見が行われ、武士たちが討ち取った敵の首級が実験されたとのこと。恐ろしい。
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続いて歴史民族資料館へ。
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ここで時間を費やしすぎ、全て回りきることができなくなりましたが、関ケ原の合戦の様子や武将たちについてよくわかりました。

続いて、黒田長政・竹中重門陣跡へ。
本当はここへ行く途中に細川忠興の陣跡があったのですが、なぜか見落としてしまっていて、気づいた時にはもう引き戻せないところまで来ていました。
細川ガラシャの夫だったので、行ってみたかったのですが残念でした。

黒田長政と竹中重門は、今NHK大河で話題の黒田官兵衛と竹中半兵衛の息子たちです。
あの松寿丸かぁと感慨深いものがありました。

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竹林を抜けた高台にあり、関ケ原が一望できます。

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案内表示板の前に立って一望してみると、関が原の合戦時の様子が思い浮かびます。
ここは岡山烽火場でもあり、戦機を見てのろしを上げたそうです。
この写真に写っている山々は、恐らく小早川のいた松尾山ではないかと思います。

続いて、決戦地です。
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小早川の寝返りにより東軍優勢となり、三成の首を狙う東軍諸隊が笹尾山をめがけて突進したことにより、ここで激戦が繰り広げられたと言われています。

この裏の方にはお土産やさんがあり、三成グッズを購入しました。
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気持ちを高め、いざ、三成陣跡へ。
笹尾山の麓には島左近の陣跡があったそうです。
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小山を上り、ついにやってきました石田三成陣跡。
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やはりここはドキドキ感が一塩でした。

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一番右に見える山には小西行長や宇喜多秀家などの味方がいて、この写真の真ん中辺りには福島正則や京極高知、藤堂高虎、田中吉政などの敵がいたと思われます。
ここから三成も関ケ原を一望していたのかと妄想にふけります。

あまりここに長くいても他を回れなくなってしまうので、後ろ髪ひかれながらも次へ。
次は、島津義弘陣跡です。
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背進、敵中突破ということで、私の勉強不足によりこの人については良くわかりません。
もっと勉強してみようと思います。

続いて、開戦地です。
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福島正則が宇喜多隊に向かって一斉射撃を仕掛けたところがここだそうです。

そのすぐ近くには、小西行長の陣跡があります。
最初は北天満山からのろしを上げて味方に開戦の合図をして勇戦したが、小早川の裏切りの衝撃に隊は混乱し、この辺りに敗走してきたそうです。
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その後、鬱蒼とした天満山の中に入っていきます。
この辺りから、それまでは2~3人くらいはいた他の観光客も誰一人としていなくなり、人は私1人になります。

南天満山には、宇喜多秀家陣跡がありました。
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開戦直後に攻め込まれ、激しい戦いとなった場所だといわれているそうです。

この辺りから、めっちゃ山になります。
藤古川ダムを通り、
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めちゃめちゃ薄暗い山の中を通り抜けます。
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この日は快晴で明るかったからよかったものの、次の日のように小雨降る薄暗い日だったら、怖くて1人では入れていなかったに違いありません。

この山を抜けて道に出ると、平塚為広の碑がありました。
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この人はあまり知りませんでしたが、この近くの垂井の城主だった人で、大谷隊に加わり、小早川隊と勇戦したそうです。

ここからまたさらに山の中に入ります。
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そしてめっちゃ山の中にひっそりとあったのが、大谷吉継のお墓です。
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小早川の攻撃により大谷隊が壊滅し、自害した時に介錯を務めた家臣の湯浅五助が吉継の首を埋めた時、敵の藤堂に見られてしまったが、湯浅が自分の首と引き換えに吉継の首をここに埋めたことは黙っていてくれとお願いをし、藤堂はその通りにして秘密を守り通したそうです。
この湯浅五助の姿勢に感心し、後に藤堂がこのお墓を立てたそうです。

そしてそのめっちゃ山の中にこれまたひっそりとあったのが、大谷吉継の陣跡です。
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この場所は、古来山中城といわれる要害だったそうです。
三成の挙兵に再三思いとどまるよう説得したが、三成と仲のよかった吉継は三成の苦しみを思い、死を共にする覚悟で死に装束で参戦したそうです。
吉継はハンセン病を患っていたそうです。
小早川の寝返りにも動じずに応戦したが、配下の脇坂たちにも攻め込まれ、軍は混乱。
あえなく自害したそうです。

この辺りからもうレースの応援に間に合わないということで、急ぎ足で山を下り、脇坂陣跡を飛ばして福島正則陣跡へ。
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東軍の先鋒で、宇喜多隊と対陣し、開戦後すぐに宇喜多隊へ一斉射撃を浴びせました。
碑が立つ春日大社境内にあるこの杉は、合戦図屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮大杉」だそうです。

続いて、関ケ原中学校の敷地内にある藤堂高虎・京極高知の陣跡へ。
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本当に中学校の中にあってびっくりしましたが、写真だけ撮らせてもらうためにささっとお邪魔しました。
大谷隊と小早川隊の激戦の中に両隊が加わって行ったそうです。

ちなみに、ここは中山道の南に位置しているということで、山を下りてから途中で中山道の表示を見つけました。
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これをずっと辿って行けば、桶川や蕨にも繋がっているんだなぁと嬉しくなりました。

そして最後に西首塚へ。
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これにて、今回の私の関ケ原合戦めぐりは終了しました。

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今の私のこのオタク趣味が、なぜ高校時代になかったのかと悔やまれます。
日本史をもっと勉強しておくべきでした。

今回も十分頭の中は関ケ原の合戦でいっぱいになりましたが、まだ行けなかったところがいくつかあるので、またこのためだけに時間を作って回りたいなぁと思います。

今回撮った写真を使って、オリジナルの大きな地図を作りたい気分です。

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Profile

熊倉美咲
熊倉 美咲 (くまくら みさき)
所属:
一般社団法人TMG本部
生年月日:1983年3月29日
血液型:A型
出身地:埼玉県桶川市
出身校:早稲田大学卒
信念:
諦めたらそこで終わり。
今、その時の自分の最大限の力で頑張り続ければ、きっといつか必ずうまく行く時が来る。