大阪・奈良・京都の旅

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昨日おとといの週末を使って、早稲田ボート部の大好きな後輩と一緒に、大阪・奈良・京都の旅に行ってきました。

金曜日、ラ・サントゥールさんでの会を大変申し訳ないことに早退させていただき、その足で新宿から夜行バスで大阪へ向かいました。

大阪に着いたのは朝7時前。
大阪城が8時から開館とのことなので、その時間に合わせて大阪城へ向かいました。

今回の旅の目的は、USJと、大河ドラマ「八重の桜」と「江」のゆかりの地めぐりです。

なので、最初は豊臣秀吉の大阪城を目指しました。

大阪城は小学生か中学生のときに水泳のイトマンの全国大会で大阪に来た時に一度母と来ましたが、その時は夜になってしまい、中には入れませんでした。
あの時も大阪城がこれくらいの大きさのところから、ライトアップされている大阪城をバックに写真を撮りましたが、現像された写真はただの真っ暗な写真でした。

さて、大阪城はなんといっても大阪の陣。
江で一番深く心に残っている場面です。
豊臣秀頼さんと淀殿と千姫と徳川秀忠さん。
この方々に思いを馳せるべくいざ入城。

すると、まぁなんということでしょう。
中は完全に21世紀です。
下から上まで全てコンクリートでエレベーターつき。
完全博物館化。
犬山城の中のあの手すりをつかまってしか上るのも降りるのもできないような急すぎる階段など、当時の武士たちの活動に思いを馳せられることを期待して行った分、相当ながっかり感でした。
まぁそういうものなんかと気持ちを切り替え、しっかりと博物館を楽しんできました。

大阪夏の陣図屏風。

この左上に描かれている黒い大阪城。
これを拡大するとー

あ~ダメですね~わかりづらい(*.*)

下から2番目の大きい1つの三角の両脇の窓から、女の方たちが外の様子を覗いているんです。
左に2人、右に3人くらいいますよね。オカメみたいな女性の顔が。
全体の屏風絵で見るとすごく細かい部分なんです。
これを描くのにいったいどれだけの時間と労力を費やしたことか。。。

外に出たら豊臣秀吉さんと真田幸村さんがいらっしゃったので、一緒に撮影していただきました。

また、なぜかダースベイダーさんもいました。

今後は、現存12天守を中心に城廻をしたいと思います。
城のしおりという冊子も買いました。

続いてUSJへ。
私は初です。
12時頃つきました。

なんかこの日は、ちょうど前日からSMAPとコラボして普通は前向きのジェットコースターが期間限定で後ろ向きになるというのが始まったばかりで、めちゃめちゃ込んでいました。
この後ろ向きのはなんと400分待ち。
初めて見ました400分。

他のもすごく込んでるし、アトラクションがめっちゃ少ない上に3Dとか使った私が気持ち悪くなる系のアトラクションもあるし、食べ物はUSJ価格でディズニーよりさらに高いし、もうしばらくは行かなくていいかもしれません。
でも2つだけ乗れたアトラクションは2つとも面白かったです。

 

その日の夜は奈良の温泉つきホテルでのんびり。
若い女性の従業員さんが奈良時代の女官の格好をしていてとてもかわいかったです。

 

さて次の朝、早々に東大寺へ。
私は昨年のゴールデンウィークにも1人で行きましたが、彩子が奈良は初めてということなので、定番の東大寺と鹿を案内することにしました。

朝早かったので鹿さんたちはおなかがすいていたらしいです。
めちゃめちゃがっつかれました。

せんべいない時はこんな感じでみんな穏やかないい表情してるんですけどね。
いざせんべいを買えばこんなもんですよ。

私は小さい鹿にあげたいのに、横から大きいのが奪い取る。
全くこうはなりたくないものです。

東大寺の敷地内にある二月堂からの帰り道が素敵でした。

さぁ、こっからが私のメイン。
いざ京都へ。
マイナーな渋いコースです。

京都駅からはひたすら歩いて回りました。

最初に三十三間堂の近くにある豊国神社と方広寺へ。

豊臣秀吉公は没後、豊国大明神として祀られたが、豊臣家滅亡後は徳川氏によって完全に破却され、庶民の参拝もままならず、むなしく草むらに埋もれて跡形もなくなっていた・・・
その後、明治時代に旧方広寺大仏殿跡地に復興されたのが、現在の豊国神社だそうです。

大河ドラマの最後に毎回1つだけそのゆかりの地を紹介するのですが、江の時にこれをテレビで見ていたのを覚えています。

でも、それ以上に大興奮したのが、隣にある方広寺の鐘。
大阪冬の陣の引き金となった方広寺鐘名事件の鐘。

豊臣家の繁栄を願い、家康の名を二分した、と家康がいちゃもんをつけた鐘。
こんなにたくさんの漢字の中からこれを見つけた当時の人がすごい。

この印がつけられているのをテレビで見てから一度じかに見てみたいと切に思っていたので、大興奮でした。
なんかこういうのを見ると、今でも私たちが使っている漢字と全く同じ文字で、あぁなんか歴史上でしか知らない豊臣家の人たちも自分と同じ日本人なんだなぁ、という深い感動をしみじみ感じます。

さて、そこから祇園に向かってテクテクテクテク歩くこと、どのくらいかなぁ。
若干迷って遠回りしたので1時間近く歩いたかもしれません。
目的は都路里の高台寺店。
目的は都路里のパフェですが、偶然ここも秀吉の正室ねねさんのゆかりの地。

歩いていく途中、建仁寺や

八坂神社なども通りましたが、

写真撮影のみで、パフェ目指してまっしぐら。
それもそのはず、この時点でもう2時近かったと思います。

記憶を頼りにやっとこさ都路里に到着。

やっと特選パフェにありつけました。

特に抹茶ゼリーが濃厚で大好きです。

おなかが満たされれば不思議と俄然元気が出てくる私たち。

祇園の小道では、祇園らしく舞妓さんの格好をした観光客に遭遇。
おなかが苦しいと言いながら歩いていました。

次は、1つくらいメジャーな観光地に行かねばと思い、私もまだ行ったことがなかった平安神宮へ。

向かって歩いていると、知恩院に遭遇。

通りからも、遠くに日本一大きいという山門がちろっと見えました。

徒歩で移動しているといろいろなものに偶然遭遇して面白いです。

さて、平安神宮到着。

実はここもまた偶然、八重の桜に出ている孝明天皇のゆかりの地。

回遊式庭園の中にはなぜか日本最古の電車があったり・・・

飛石をおじいちゃんおばあちゃんの団体さんが果敢に渡っていたり・・・

梅がきれいだったり・・・

なかなかいいとこでした。
天気が曇り空だったのが残念。

そして最後は、方広寺と並ぶメインの金戒光明寺。
京都守護職本陣。
八重の桜で会津藩が本陣を置いたところです。

拝観は16時までとのことで、このときすでに15時55分。
とりあえずいけるところまで行こうということで中へ。

すると、なんとまぁとっても嬉しい誤算。
こんな看板が!

わくわくしながら矢印のほうに行ってみると、ありました!

テレビで見た供養塔。
真ん中に大きく「江」と彫ってあります。
いや~まさかここにあったとは。
方広寺の鐘並みにテンションあがりました。

そして、会津墓地参道の矢印に従って歩いていくと、

ありました。

松平容保公と会津藩士たちに思いを馳せました。

墓地の近くに、とても重厚で歴史を感じる三重塔がありました。

伊丹重好という人が、徳川秀忠を追悼するために建てられたそうです。
秀忠は江の旦那さん。
やっぱりなにかつながりがあるんですね。

さて、長かった旅もようやく終わり。

ここから三条まで歩いて、帰りは電車と新幹線で帰ってきました。

携帯で見たら、この日の歩数は約32,000歩。
距離にして約21km。

いやーハーフマラソンの距離を歩いてしまいました。

ふくらはぎがパンパンになりましたが、ものすごく充実した旅になりました。

旅行記はかなり長文な上に、特に歴史ものはかなりマニアックになってしまいます。

歴史に興味のない方には失礼いたしました。

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Profile

熊倉美咲
熊倉 美咲 (くまくら みさき)
所属:
一般社団法人TMG本部
生年月日:1983年3月29日
血液型:A型
出身地:埼玉県桶川市
出身校:早稲田大学卒
信念:
諦めたらそこで終わり。
今、その時の自分の最大限の力で頑張り続ければ、きっといつか必ずうまく行く時が来る。