夢を与える

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私の母の友達の娘さんの仲良しの友達で、早稲田の同期で、最年少芥川賞作家の綿矢りさちゃん。
彼女の作品はほとんど読んでいます。
同世代だからか、他の本よりも共感できる部分がたくさんある。
直に挨拶して一緒に写真も撮った仲だからか、勝手になんか親近感を感じていて、読んでいくうちに私の中で彼女の本の主人公がいつの間にかりさちゃん(←勝手に呼ばさせてもらってます)に置き換わっていて、その主人公の思ってることや話すことなんかがりさちゃんが考えてることなんだと勝手に思い、あぁ、あのかわいいりさちゃんもこんなこと考えてるんだなぁ、とか、私とおんなじこと考えてるんだ!とか思って、なんていうのかなぁ、なんか安心するというか、自分だけじゃないんだって嬉しくなるというか、りさちゃんの本は他の本と何かが私にとっては違うのです。
意味わかりますでしょうか?
頭の中の混沌としたものを文章として表すのはなかなか難しいです。

今回久しぶりにりさちゃんの本を読もうと思ったきっかけは、確かもう1ヶ月以上前だった気がしますが、朝日新聞の1ページの1画に、りさちゃんが子供たちに小説の書き方を教える特別教室みたいなのを開いて、りさちゃんが子供たちに書き方を教えてる様子や、子供たちの奇想天外な発想に喜んでいるような記事があって、それを読んだことでした。
りさちゃんも頑張ってるんだなぁ。。と私も元気づけられ、お手紙でも書いてみようかな〜と思い、そのために新しい本を読んでみようと思ったのです。

一気に2冊、「かわいそうだね?」と「夢を与える」を買って読んで、そのうちの1冊、「夢を与える」に、特にものすごく共感できる部分がありました。
タイトルからして、本を読む前からなんとなく自分に共通してる部分があるんじゃないかと思っていましたが、やっぱりでした。

内容をちょうザックリ言うと、日本人の母と、フランス人と日本人のハーフの父との間に産まれた夕子が、チャイルドモデルとして芸能界デビューし、中学生から高校生くらいで一気にブレイクするが、初めての恋愛や友達との遊びに溺れ、スター人生が崩壊してしまう、というような話。

共感部分。
インタビューをたくさん受けるようになり、将来どんな風になりたいかという質問にいつも詰まってしまう夕子に、マネージャーが「見ている人に夢を与えられる人間になりたいと答えればいい」とアドバイスし、夕子はそれ以来同じ質問をされるといつも「夢を与える人になりたいです」と答えるようになった。
だけど、もう少し成長した時、この言葉に違和感を感じ始める。
「"夢を与える"この言葉ってきたならしくない?」
「たとえば農業をやるつもりの人が"私は人々に米を与える仕事がしたいです"って言う?」
「"与える"っていう言葉が決定的におかしいんだと思う。お米は無理で夢だけが堂々と"与える"なんて高飛車な言い方が許されてるなんて、どこかおかしい。」

よくスポーツの試合前の挨拶で使われる言葉、
「応援してくれる皆様に感動を与えられるようなプレーができるよう頑張ります」
私もたぶん昔は言ってたんだと思う。
でもいつの頃からか、「感動を与える」という言葉を言いたくなくなった。
だって、感動はプレーヤーが意思をもって与えられるものじゃない。
見ている人が感じてくれるかどうか。ただそれだけ。
むしろ、物の方が与えることはできる。
夢や感動や希望や元気や勇気といったものは、与えようと思って与えられるものじゃない。
だから私は、応援してくださる皆様に喜んでいただけるような、とか、元気になってもらえるような、というような言い方をしていた。はず。
時々「職員の皆様や患者様に元気を与える」って言ってしまったこともあった気もしますが……(p_-)

でも、夕子のこの言葉に対し、ヘアメイクさんは「そんなことない、限られた人にしか言えない、最高の言葉よ」と言う。
『限られた人にしか言えない』
『限られた人にしかできない』
私もよく言われたなぁ。

ちょっと爆弾発言かもしれませんが…

「限られた人にしかできないんだから、だから頑張れ」
これって、場合によってはものすごく無責任な言葉だと思う。
限られた人になれない人は、その限られた人がどれほどの苦しみを味わっているのかわかりもしないのに、勝手にその人に自分の夢を押し付けてる。
そう言われた「限られた人」が、何も言えなくなってしまうのをいいことに。

あ、「場合によっては」というのは、その言葉が本当に当人を奮い立たせる場合もあると思うので、という意味です。


そうして夕子が、超プライベートの部分の映像を流出させられてしまって、芸能界で生きていくことがほぼ絶望的になってしまった時。
夕子は長年見つけられなかった真理を、今見つけた。

自分の人生を生きたことで多くの人を裏切った。
夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。
だから夢を与える側は夢を見てはいけない。
恋をして夢を見た夕子は初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと12年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。
一度離したその手は、もう二度と戻ってこないだろう。


そうだったんだ。
夢を与えられる人は、その分何かを我慢しなければならない。
その他の人と同じだったら、その人に輝きなんか感じられない。

私もオリンピックの時は、プライベートはほぼ我慢して、いろんなことを節制してトレーニングに打ち込み続けた。
当時日記に、オリンピックが終わったらアレが食べたい、あそこに行きたい、あんなことしたい、オリンピックが終わるまでの辛抱だ、終わったら絶対欲望のままに好きなことしてやる、ってよく書いてたのを思い出しました。
それに職場でも、お前は広告塔だから、と最初に言われてから、ずっとそれを意識してきた。
いろんなお客様に紹介していただく度に、笑顔で頑張りますといい続けた。
どんな心理状態であっても。
だから、スランプに陥って周囲の期待に応えられなくなった時、本当に苦しかった。
今の状態じゃ勝てるわけないと自分ではわかっているのに、表面では笑顔で優勝目指して頑張りますと言わなければならなかったから。

だから、引退したらしばらくは、自分の人生を自分のためにおもいっきり楽しみたいと思っていた。
せめて今までひとの夢でいた分を埋めるくらいの間は。
でも、私はもうそこから解放されたはずなのに、ほんの時々、まだひとの夢であることを求められることがある。
それは、引退した後もまだファンでいてくれてるということでとてもありがたいことであるのはわかっているのだけど、正直やっぱり今しばらくは私自身だけでいたい。

ここまで自分を本の主人公と同化させてしまったのは初めてだったかもしれません。
でも、私のこんな気持ちをよく理解してくださっている人ももちろんいる。
そんな私はやっぱり幸せ者なんだと思います。

すみません、長い長い読書感想文でした。

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Profile

熊倉美咲
熊倉 美咲 (くまくら みさき)
所属:
一般社団法人TMG本部
生年月日:1983年3月29日
血液型:A型
出身地:埼玉県桶川市
出身校:早稲田大学卒
信念:
諦めたらそこで終わり。
今、その時の自分の最大限の力で頑張り続ければ、きっといつか必ずうまく行く時が来る。