2011年11月アーカイブ

河口湖日刊スポーツマラソン

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ボート引退したら、ぜひ一度はやってみたいと思っていたフルマラソン。
おととい、ついに夢実現させてきました!!

一女でボート部のマネージャーだった子がマラソンに目覚め、私もお誘いを受け、それがまたボートのレースで高校時代に2度行ったことのある思い出の河口湖、ということで即決して出場してきました。

土曜日に仕事終わって3時頃に新宿発の高速バスに乗って出発。

5時半頃だったかな?河口湖に到着。辺りはもう真っ暗。寒い。

だけど、星がほんっとーにきれいでした!!こんなに空には星があったのか!!っていうくらい、戸田の数倍もたくさん、明るく、なんか近いところに星がありそうな感じでたくさん輝いていました。

まずは前日のうちに会場へ行って受付。会場では前夜祭が行われていました。

私たちが行った時には、このステージではデンジャラスのお笑いライブ終盤でした。
デンジャラスがノッチのいるコンビだとわからず見逃しました。
でもその後、中村あゆみさんがアコースティックギターのみで生ライブ。
ハスキーボイスでものすごい迫力!!
う~~翼の折れたエンジェル♪
一緒に歌って盛り上がってきました。

さてさて、ここで驚いたことが一つ。
会場に入って最初の頃、いきなり一人の女性に「熊倉さんですか」と声をかけられ、何事かと思いきや、なんと早稲田ボート部の後輩(今現役)のお母さんだそうで。
石川県からフルマラソン出場のためにいらっしゃったそうです。すごい~
私のブログを見てくださっているそうで、ありがとうございます!!

 

さてさて当日。朝8時スタートなので、5時朝食。ボート引退以来の4時半起床。

会場はめっちゃ寒かった!!気温2度!!

でもめっちゃいい天気~

間もなくスタート。

自分のいるところから前↓

後ろ↓

ものっすごい人人人。スタート地点ははるか先です。実際たどり着くまでに、スタートの鉄砲鳴ってから6分かかりました。

スタート地点ではゲストの皆さんが応援してくれていました。

左から、オバマ大統領とデンジャラスのもう一人の方とアントキの猪木さん。
この左に有森裕子さん(←めっちゃ美人!!)が応援しててくれたのですが、走りながらの撮影だったので残念。

しかし、この時オバマはまだスーツじゃないか。
彼はこの後、たぶん10キロ過ぎくらいだったと思いますが、さら~っと私たちを抜き去って行きました。
全員を見送った後に着替えてスタートしたんだろうに、オバマさんは走るの速かったんですね~

まだまだよゆ~のスタート直後。

スタートから約1時間。所々のポイントで、男性たちが並んで立ちション。マラソンにはこんな裏風景もあったんですね~。

富士山に向かって走って行きます。スタートから1時間15分くらいたってるから、この地点でもう10キロくらい走ってるのかな?

続いて橋の上で富士山バックに。この後この橋をあと2回、計3回渡ることになります。まだ1回目だからよゆ~。この地点でスタートから1時間半くらい。

おっとここは!!この懐かしい風景は!!
この船台こそ、私たちが高校2年と3年の時に関東大会で来てボートを出したところ。
ちょっと寂れてる気はしますが間違いない。
もうあれから10年も経ってるのか。。。

こんなトンネルの中も通ります。だいたい15キロくらいかな~。

スタートから1時間45分が経っています。かなりのスローペースでここまで来てしまいました。
一緒に走っていた子は27キロの部なので、このトンネルを抜けてもう少し行った辺りの給水ポイントからスピードアップをするとのこと。
私はまだまだ先は長いので自分のペースで行くことに。

でも!それにしても自分もペースが遅すぎる。
このままじゃ確実に5時間かかってしまう。
脚が痛くなるのを恐れて怖々行きすぎました。そして写真撮ったり余裕かまし過ぎました。
初挑戦で完走が目標とはいえ、普段走ってるペースなら5時間はかからないだろうとタカをくくっていたのです。
このままではマズイ。

ということで、私もここからちょっとスピードアップ。

先日もブログにちょっと書きましたが、数日前に20キロ走っただけで左大腿骨頭の辺りが痛くなっていたので、それを恐れていました。
坂ノ下温灸院の先生さまによると、おしりの筋肉が硬過ぎるのが原因だから、よくストレッチをするとよい、というアドバイスをいただいていたので、それから毎日おしりのストレッチを入念にやっていました。
その甲斐あってなのか、意外と20キロ過ぎても結構余裕。

あ、それと、スポーツドリンクの補給とバナナの栄養補給。これってものすごいことに気づきました。
結構脚が重くなってきていても、給水ポイントでザバスのドリンク飲んで、バナナや軽いお菓子を食べると、すごい体力が回復したように感じて、軽い感じでまた走り出せるんです。

なんか、ザバスとバナナさえあればこれはきっと最後までいけるぞ!!って元気が出てきて、楽しくなってきました。
やっぱり人間にとって、食べる飲むってことはとっても重要な事なんですね~

 

さてさて、距離の表示は5キロごと。だいたいここまで5キロ40分ペースくらいできている。
ああ、このままじゃマズイマズイ。5時間かかっちゃうよ~
5時間はかかりたくないよ~と思いながらひたすら前に脚を進めていました。

一度ちょっと左脚が痛くなりそうかなと思った時があって、その時は止まって軽くストレッチをしましたが、余計なことは考えずひたすら脚を動かし続けていたら、意外と大丈夫でした。

結構最初から20キロ過ぎ辺りまでが5キロがやたら長く感じていましたが、だんだん感覚がおかしくなってきて、25キロ超えたあたりで「あと15キロちょっとで終わるじゃないか!ちょっとスピードあげても大丈夫だ!」とか思って頑張り始めました。
15キロなんて、普段走ってる距離より長いのにね。これがランナーズハイってやつなのか?

でも、この頃から結構他のランナーたちが立ち止まってストレッチ始めたり歩いたり、ペースがすごくゆっくりになっていたりして、そんな人たちを横目に一定のペースで自分は走り続けていて、それがだんだんおもしろくなってきていました。

さらに、約30キロ地点でのこの絶景!!

思わず一瞬足を止めて写真撮影。ススキも入って風流です~

さ~ラスト10キロちょっと。
コースは、スタートしてから最初ちょっと10キロくらい市街地を走った後は湖の周りを3周みたいなので、この頃にはもうだいたいコースの感じもつかめてきて、あとはひたすら走り続けるのみ。

35キロ地点↓

時計を見ると、5時間ペースよりちょっとだけ早いペース。

よしよし、いけるぞ~ ラスト7キロ!!

ラスト5キロからはもうラストスパート。目標は5時間をできるだけ切ることのみ。

ここまでくればもう脚が痛くなる心配はない、と思って脚を大きく使い始めたら、なんだ意外とまだ脚上がるじゃないか。

いよいよラスト。
スピードあげて、ちょっと力に余裕を持ってゴール。
アーチをくぐった時、電光時計表示はぴったり4時間58分。
あぶなかった~

ゴールした時は、まだ力に余裕がある感じがして、もっと前から頑張っておけばよかった~と後悔しましたが、でもゴールして歩き始めたら急に左大腿骨頭のところに痛みが。
やっぱり走ってる最中はアドレナリンのおかげで痛くなかったんですね~

ま、なにはともあれ、今まで最高で22キロしか走ったことがなかった人間が42.195キロを完走。
それだけでとりあえず満足です。

5時間走ったあとのお水は格別。バナナも格別。お風呂も気持ちイイ~

でもそんな余韻を堪能している時間もなく。

ゴールしたのが1時でバスが2時40分発。

急いでお風呂入って着替えて準備して駅前のほうとうのお店へ。

こんなでっかい鍋にたっくさん!!
しかもふた開けた時、めっちゃぐつぐつ煮たってた!!

こんなアツアツのものを15分で食べなきゃいけないなんて・・・
猫舌の私には至難の業。
かなり頑張ってここでも追い込みました。
でもやっぱりおいしい~

ということで、慌ただしく、さようなら富士山。

後遺症は、昨日今日の脚の筋肉痛と、左足の親指の爪が紫に。
でも、階段下りる時に軽くうなりながら降りなければならない程度で済みました。

ちょっと、マラソンの楽しさに目覚めてしまったかもしれません。
次は今回よりはタイム縮めたいですね。

最後に証明書。

スタートしてからスタート地点を踏むまでに6分30秒くらいかかったので、ネットタイムは4時間51分30秒、ということです。
なので、今のところこの記録が私のベスト。

みなさま、一緒に走った気になっていただけたでしょうか。

小さな幸せ

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今、私にとっての小さな幸せが2つほどあります。

1つ目。

昨日、羽毛布団のカバーを買いました。あったかい生地のです。

普通掛け布団て毛布の上に掛ける、と思いますが、羽毛布団は違うんです。
体の上には直接羽毛布団で、その上に毛布を掛けた方があったかいのです。
母もそう言っていましたし、テレビでも実際に温度を測って実証していました。
それほど羽毛の持つ空気感は保温効果が高いのです。

で、私の羽毛布団は表面の生地が今まで冷たかったのです。
母は温かいカバーと一緒にこっちに持ってきたと言っていましたが、どこを探してもありませんでしたょお母さん。

というわけで、昨日買ってきたのです。
最近もう、毛布の上に羽毛布団じゃ寒いので。

昨晩、ついに念願のあったか羽毛布団に毛布載せ。

なんてあったかいのでしょう。こんな幸せなことはありません。

私はボート時代に寒さのあまりに死の危険すら感じたほどの恐怖経験があるので、あたたかいことには人一倍幸せを感じるのです。

今日も仕事中に、ちょっと夜寝る時のことを考えてウキウキしていました。
そんな話を隣の席の後輩にしたら小バカにされましたが。

ま、こんなことで幸せになれるので、私は幸せな人間です。

 

そして二つ目。

さっき、クロスバイクを手に入れてしまいました!!

私の今までのチャリ。
もう寿命だったのです。
チェーンに556を丁寧にスプレーしても効果なく、漕ぐとがしゃがしゃいっていつ壊れるかとちょっとドキドキしながら乗っていたし、もともとかわいいピンク色だったのに色褪せて誰しもがベージュと言うので、そろそろ新しい自転車買わなきゃなーと思っていたのです。

で、ふらっとオーカワの2階のチャリ売り場に行ってみたら…

なんと!!
このかっこいいクロスバイクが¥11,800(現品限り)!!
しかも前かご付!!
まさに私の理想そのものです!!

即買いでした。だって現品限りだし。その辺のママチャリより安いし。

私は過去に、大学時代に5万円も出して買ったビアンキのかっこいいクロスバイク(色は白だった)を盗まれた経験があります。
だから、このチャリは絶対に大切にするぞ!!と思って、帰りに100均によって、サドル盗難防止用にチェーンの鍵(←前にチャリ屋さんに教えてもらった)と、前かごの防犯ネット(←戸田市は女性を狙ったひったくり率県内No.1)と、雨の日に濡れないように自転車覆うカバーを買ってきました。完璧。

今までのチャリもお気に入りで、総局長さまにベンツと命名していただいておりました。
なので、今度はビーエムにしようかな。

そしてオーカワからの帰り道。
ただでさえ静かに滑らかに走るクロスバイクですが、さらに6段速のギアをフル活用したことで、辺りのママチャリをぶんぶん抜き去りました。
なんて気持ちの良いことでしょう。

これが小さな幸せ2つめでした。

 

あと、小さな幸せからは微妙にズレるかもしれませんが。

先日、ちょっと職場の上司方に飲みに誘っていただき、そこで理想の男性像の話になり、私はやっぱり自分の父親のような人がいいという話をしました。
自分にとっての父は何でもできるスーパーマンのような存在で、まぁ小さい頃からのそういう思い出をいろいろしゃべってたんですね。

そうしたら、完璧なファザコンだね。ファザコンはなかなか結婚できないよ。と言われました。

別に父とよく話すということもないし、二人で出掛けたりということもほとんどなかったので、今まで自分がファザコンだとは一度も思ったことなかったんです。
だから、そう言われてすごくびっくりしました。

でも、確かに人に父の自慢話をするのは好きです。

娘にこんな風に言われるお父さんがすごい、自分も娘に陰でこんな風に誉めてもらえる父親になりたい、と隣に居た方がおっしゃっていました。

 

そうなんですよ、お父さん。面と向かってはこんなこと言わないけど、いないところでは結構お父さんのこといろいろ話してるんですよ~

もちろんお母さんのことも自慢してるよ~

 

ということで、ちょっと幸せを感じたのを思い出したのでした。

小牧・長久手の戦い巡り

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初めにお断りしておきます。今日も長いです。おつきあいください。

今週末の日曜日についにフルマラソンに挑戦します。
が、最近寒さのあまり冬眠モードに入りつつあり、早朝ランニングをずっとさぼっていました。
さすがにちょっとは準備しなきゃマズイなぁと思い、今朝、20kmくらい走ってきました。
家からスタートし、ボートコース3周して家まで帰ってきました。
最後ちょっと歩いて2時間15分もかかってしまいました。しかも、左大腿骨頭の辺りが痛い。最後足上がらない。
こんなんであと倍以上も走れるのかなぁ。不安ですが、やるしかないのです。

そんなんで、ボートコースでは日本代表の最終選考のシートレースが行われていました。
我がチームのエース田立クンも頑張っていました。私が観たシートレースの結果は・・・・・・。
6人でダブルスカルで全通りの組み合わせで1500mのレースをするそうです。きっつ~。。。
1本1本、ものすごいプレッシャーがかかってきます。
その辛さは私はよくわかっています。想像するだけでもイヤです。
今の私には応援することしかできませんが、田立がんばれ!まなみちゃんもガンバレ!!みんな頑張れ!!!

 

さてさて、先日の週末、弾丸名古屋一人ツアーに行ってきました。
土曜日仕事終わって午後3時頃に出発。帰りは日曜日の23:50発の夜行バスに乗って、翌月曜日の早朝5時頃に新宿着、6時頃に家着。8時前には出勤。タフ~。

なぜこのタイミングだったかというと、12月から4年間くらい旦那の仕事の都合でおフランスへ行ってしまうという高校1年生の時の同級生のおうちに遊びに行くにはこのタイミングしかなかったのです。

土曜日はそのお友達のおうちへ直行。会うのは彼女の結婚式以来2年9か月ぶり。

モデルルームのようなすてきなおうちにとってもおいしいお料理、温かいお風呂と温かいお蒲団、さらには朝ごはんまでごちそうになり、最上級の御もてなしをいただいてしまいました。ぷっぷ、ほんとにありがとー!!

そして夜の宴会用には、旦那さまチョイスのたくさんの缶チューハイと、イモ好きな私のために、沖縄に行った時に旦那さまが紅イモ系のお菓子をたくさん用意してくださいました。ジョージさん、ありがとうございました!!

そして、何よりもかわいかったのが、ホフク前進とホフク後進が大得意なそうサマ!!

私が差し上げたリラックマのぬいぐるみをもてあそんでおおはしゃぎのそうサマ。
この大きさですが、まだ11カ月のようです。将来楽しみな力強さ。

携帯大好きなそうチャマ。ビジネスマンか?

そんなんで居心地良過ぎて寝坊した翌朝。

ぷっぷのおうちから比較的近くだったので、まず長久手古戦場から行くことにしたのですが、結果的に小牧・長久手の戦いゆかりの地を逆時系列的に回った旅となりました。

今は公園となっていて、家康隊とその仲間たちの隊が本陣を置いた山々の配置を縮小して表したという小山がありました。

長久手古戦場碑はちょっとはずれた駐車場の方にポツンと立っていました。文字見えませんね。

ここには長久手の資料館もあり、案の定私はそういうのをさらっと見て回ることができず、読み耽って予定の時間を大幅にオーバーしてしまいましたが、小牧長久手の戦い時代にタイムスリップしたような充実感を得て満足してきました。

駅の近くには、活躍した武将たちの家紋と雄姿がありました。行きは徳川豊臣織田くらいしか興味ありませんでしたが、帰りは7本全部興味深く見てきました。

右から徳川家康さん、織田信雄(のぶかつ)さん、井伊直政さん(ここまで家康勢)、豊臣秀吉さん、で左奥の方にあるのが確か池田恒興さん、森長可さん、堀秀政さん(ここまで秀吉勢)。

そしてその後、1時間くらいかけて犬山城へ。

1537年に織田信長の叔父さんが築城。当時の天守が現存していて国宝に指定されている。現存する12城のうちで日本最古の様式らしいです。
階段がとにかくものすごく狭くて急なんです。傾斜は絶対65度くらいはあったと思います。

わかりづらいけど右側の手すり見てもらえれば何となくわかりますかね~
若者の私(一応)でも手すりつかまらなければ恐くて昇れないし降りれません。
こんなところを当時は手すりもなく、重たい甲冑を着けて昇り降りしてたわけでしょ?頭が下がります。

犬山城は、小牧長久手の戦い時に秀吉さんが入城していました。当時の城主は織田信雄さんの家臣だったようですが、その留守中に池田恒興さんが侵入し落城、のち秀吉さんが入城したそうです。強盗じゃないですか。

最上階からは木曽川を一望できます。木曽川の南岸の岸の崖の上に建っているので、木曽川が自然の要塞になったそうです。

紅葉もきれいでした。

こんなお方もいらっしゃいました。

その後、今度は敵対している家康・信雄さんたちが陣とした小牧山へ。犬山城からも遠くの方に見えるくらいの位置です。

小牧山城はこんな山の上にあります。といっても、これは完全なレプリカです。資料館です。
山のふもとは公園になっています。

大変遠かったですが、山も登ってきました。

でも、時間がなかったので中には入らずに帰ってきました。
一番行きたかったのは、次に行く清州城だったのです。
でも、この小牧山が予想以上に駅からも遠く山登りも大変だったので時間がかかり過ぎてしまい、もう今から行っても閉館時間を過ぎてしまいますが、とりあえず外観だけでも見たかったのでいそいそと清州城に向かいました。

清州駅に着いた頃には辺りはもう薄暗くなり始め・・・

とりあえず清州城の手前にある清州公園にいた信長さんとパチリ。

冷たい強風が吹き荒れていて寒かったのと、辺りを小学校高学年くらいの男の子たちが走り回っている中でセルフタイマーでの撮影だったのとで、わたくし無表情。とりあえずちゃんと来た証拠写真ということで。

そして清州城。案の定もう扉は閉まっていました。
こうなることはなんとなくそんな気がしていたので、一番行きたいところは一番最初に行くべきかと迷ったのですが、まぁきっと大丈夫だろうと甘く見て、位置関係の効率の良さを優先させてしまいました。やっぱり犬山城行く前に行っておくべきでした。反省。

人が来ないかドキドキしながらここでもセルフタイマーでパチリ。

清州城は信長さんが10年間ほど居城したところで、のち信長さんの後継者を決めた清州会議が行われたところ。
ここに秀吉さんも家康さんも、あと柴田勝家さんとかも集まったわけですね。
そしてこの会議の後にひともんちゃくあり、小牧・長久手の戦いへとつながっていくわけです。

本当はこの後に徳川園や豊国神社とかにも行きたかったのですが、もう日も暮れたし体力も限界だったのでやめました。

この後、岐阜県の多治見に移動し、中部電力で頑張っているばんちゃんとご飯。

セルフタイマーを覚えた私は、これもまたテーブルにカメラを置いてセルフタイマーで撮ったので、料理が全く見えませんね。
赤くて辛いお鍋を食べました。

そうして無事に日常に帰ってきました。

私、今まで全く戦国時代には興味なかったのですが、全ての始まりは大河ドラマの江です。
私は昔から興味を持ったことにものすごくのめり込んでしまう性質ですが、こんなに戦国時代に詳しくなってしまうなんて、こんなことなら15年くらい前に江に出会っていたかったです。

ボート引退したら、こんな風に土日を使ってちょっとした旅行に行くのが夢でした。
自由を満喫です♪

大変長い旅行記にお付き合いくださいましてありがとうございました。

県民レガッタ

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昨日、戸田ボートコースにて県民レガッタが行われ、出場してまいりました。
国体が終わって以来、1ヶ月と1週間ぶりの乗艇でした。

メンバーはこんな感じ。引退したばかりの30歳未満チームです。

これはナックルフォアという艇で、かなり重いです。
だからその分、水の重さを感じられて楽しかったです。重いけど。

おじさん?おじいちゃん?たちのエイト。すぐ近くで見ると迫力ありました。みなさんほんと元気ですね~

私たちは、40歳未満の男性のみのチームとの一騎打ち。

ですが、、、

見事勝利を勝ち取りました☆
500mなのにめっちゃきつかったけど・・・

やっぱり久しぶりに漕ぐと楽しいですね~
天気も良くて、とっても気持ちが良かったです。
またこういうお楽しみレガッタがあったらぜひ参加したいものですね。

 

ではここから。
他人の子で親バカ写真集。だって可愛過ぎるんですもん。

みてみてヘリコプター♪

へりこぷた~

いっちゃった~

ゴクゴク・・・

ぷは~

へりこぷた~

あぁ。。。かわいすぎる。。。

幸せ

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もうだいぶ前ですが、とだわらび青年介護所の第1例会で、(株)アビリティトレーニングの代表取締役の木下晴弘先生の講演があり、私も聞かせてもらいました。

木下先生は元大手進学塾の講師で絶大な支持を受けていた方で、「即感動」というテーマで講演していただきました。

その中で私が特に感動したことは、幸せになる人とはどういう人か、という話でした。

要は、感謝やお金や信頼を得られる人は、「他人を喜ばせた人」なんです。
感謝やお金や信頼を得られない人は、「自分が喜びたい人」なんです。

他人の喜びを我が喜びとできるかどうか。

その人を喜ばせたいと思ったら、その人のできないことをする→そのためには技術がなければできない→勉強(努力)
つまり、幸せを得る人で勉強家でない人はいない、ということで、教育の目的そのものが変わって、子供たちに勉強することの喜びを与えたそうです。

人を喜ばせる=人の問題を解決、人の欲求を解決

人生の法則「人に与えたものは必ず自分に返ってくる」

人を喜ばせれば、感謝や信頼が返ってくる
戦争を仕掛ければ、テロが返ってくる

会社からもらうことばかり考えるのではなく、会社に何を提供できるかを考えれば必ず返ってくる

与えることを生きグセにできる人が幸せになれる。見返りをねらって与えると、返ってこなかった時にストレスがたまる。→幸せになれない

人に多くを与えられる人=自己承認ができている人
自分は生まれてきただけで祝福された存在なんだ、と心から思えるかどうか。

「be(自分の存在理由)→do(叶えるために何をする)→have(それを手に入れる)の法則」

人はたいてい、成果を褒める。
・・・テストで100点とって偉いね~
・・・お手伝いできて偉いね~

手に入れること、結果を出すことだけが愛を手に入れる方法だと育てられた子は、haveを手に入れるためにどんなことでもしてしまう。
結果を出せなかったら愛してもらえない・・・と不安だから、非行に走る。

生まれてきてくれただけでありがとう。あなたは周りを幸せにできる力をもっている。
と、存在そのものを認めてあげることが、どんどん幸せを生んでいく。

テストで悪い成績で返ってきてありがとう→まだ伸びる余地がある。素晴らしいこと!!→勉強し始める

失敗したことのある人は、人の痛みがわかる人。
苦しかったこと、失敗したことは、その人の魅力になる。

失敗を恐れて何もしなかったら、何もできない、何も得られない。
「課題に対し、挑戦し続ける勇気」

まだこれは講義の一部ですが、こんな感じ。

私はこの講義を聞いて、どうして自分が幸せなボート人生を送ってくることができたのかがわかった!と、目から鱗でした。

私のボートの原動力は、応援してくれる人たちに喜んでもらいたい!という気持ちでした。
だから、特にレース本番になると逆に冷静になって、「勝つためには何を意識すればよいか」を考え、集中力が増して、パワーがみなぎってくる感じを覚えていました。

また、私の周りには、レース結果だけではなく、普段の厳しい環境で毎日練習を頑張っている姿とか、そういった私自身を褒めてくださる方がたくさんいました。

それに、今以上になるためにはいろいろなことに挑戦して、とにかく一度自分の中に取り込んでみるべきだ、と思って、素直にいろいろなことを吸収するようにしてきました。

こうして無意識にやってきていたことが、結果的にたくさんの人に応援していただいて、有終の美で終わることができた、幸せなボート人生につながっていたのだとわかりました。

 

木下先生とは当日にお名刺を交換させていただいたのですが、後日なんとそのことに対するお礼の言葉と、一期一会の精神が書かれた直筆のお手紙を頂きました。
また、この講演の後に私が興奮してかなーり長文のメールを送ってしまったのですが、それに対してもきちんとお返事をくださいました。
かなりご多忙の中でも、こうして一期一会の精神を実践していらっしゃるのがとても心に沁みました。

私もご縁を大切に、これからも幸せな人生を送っていきたいなと思いました。

 

最後に余談ですが、今日は記念すべき、このブログ開設2周年記念日です。
2009年のポッキーの日に始めました。
このブログの第1回の記事に、ちょうどこの時期、職場で夕方にソフト部の子たちと制服で「ポッキーの日」とか言いながら写メを撮って載せたのを良く覚えています。

あれから早2年。

応援して下さる皆様のおかげで、こうしてここまでクマブロ続けてくることができました。

今後ともよろしくお願いいたします。

ボート協会の委員初仕事

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わたくし、ボート選手を引退してまだ1カ月ですが、確か最後のレースの5日後くらいに早速日本ボート協会の委員に推薦され、このたび指導者育成委員を拝命いたしました。

私は去年、公認コーチの資格は取得したものの、指導者としての経験は全くありません。
が、他の委員の方の仕事をお手伝いしつつ、まだ選手に近いので選手の目線から何か助言していけたらなと思います。

そして今、私が去年受講していた公認コーチの養成講習会の専門科目がボートコースで行われておりますので、私は昨日の仕事終わってからの午後と、今日一日をスタッフとして働いています。
働いていると言っても、ただちょっと資料配るだけですが。

そして昨日の夜、参加している高校の先生や指導者の方とのちょっとした交流会に参加させていただく機会に恵まれました。
自分のまだ知らない世界の方々のお話を聞くのはとても楽しいですね。勉強になります。

そしてそこに、スペシャルゲストとして、私が大学1年~3年まで監督としてお世話になった方がいらっしゃいました。

私は正直、その元監督が来ると聞いて一瞬ちょっとひるみましたが(笑)、今まではずっと選手と監督という立場でしか接したことがなかったので、選手を引退した今、元監督のまた違った一面が見えてくるんじゃないか、と思って、同席させてもらいました。

監督としてではない、人としての元監督は、酒の席ではとにかくめちゃくちゃでおもしろい人でした。
一通りお下品な事をしゃべってしまってから、私の方を見て「お前はいなかったことにしろ」とちょっと気にしている節もみられました。ウケル。

そのなかで、ちょっと感動した話がありました。

元監督が日本代表だった時代の話。

当時のジャパンのコーチは、ハリソンさんという外国の方でした。

この元監督がどういう方かわかっている人にはわかると思うのですが、この方は決して人の言うことに素直に従うような方ではないのです。すごい強烈な個性をお持ちの方なんです。(本人には内密に)

でも、その元監督が言うには。

ハリソンさんはできる限り日本人に近付こうと努力した。戸田に住み、朝ごはんは毎朝中央大学の合宿所に行って白飯、納豆、味噌汁を食べて、日本語も頑張ってしゃべろうとして、1回の練習で必ず1回は選手個人個人に声をかけ、練習前は選手よりも誰よりも早く来て選手みんなを迎え入れ、練習後は選手がみんな帰るまで最後まで艇庫にいた。そこまでやられたら、いくら俺だって、こいつの言うことは聞いてやろうじゃないかって思うよなぁ。

この話は、とっても私の心に染みました。

熱いハートを持って努力すれば、きっと熱意は伝わる、ということが、今までの他のどんな話よりも心に染みました。

たぶん、この方をご存じの方は、誰もが私と同じ思いを抱くと思います。笑

でも、同時にこの方は、これはフルタイムのコーチだからできることなんだよな、うちらみたいな他の職を持っている人には時間がなくてできない、ということも嘆いておられました。
これはきっと、プロコーチがほとんどいない日本のボート界が抱える課題なのでしょうね。

 

私は、イワグロさんがいなかったら今の私はなかったと思います。これは本当にそう思います。
高校卒業して浪人してしまって、1年間何にも運動しなかった私を、さらに高校時代一度もシングルスカルを漕いだことがなかった私を、大学1年の夏のインカレでいきなりシングルスカルで優勝させてしまったのです。
さらに私のエルゴ2000mのベストタイムは、イワグロさんが私がエルゴしているすぐ横でずっと声をかけ続けてくれた大学2年の時に7分11秒という驚異的なタイムが出て、結局それを一度も更新できずに終わりました。

大学2年の冬、私が体重を落とせなくてアテネオリンピックの代表選手の選考に参加すらできなかった時、私を叱って次は必ず軽量級になってみせると決意させてくれたのもイワグロさんでした。当時は悔しさでいっぱいで、見返してやるって気持ちでしたが。

いろいろ思い返していたらきりがありませんが、私がインカレでシングル3連覇出来たのは間違いなくイワグロさんのおかげだと思います。

それに、北京五輪の後に、もう選手を引退しようと思っていた私に声をかけてくださり、明治安田で一緒に練習して女の子たちと一緒に寮のお風呂使ったりやご飯も食べればいいじゃないか、と素晴らしい環境を与えてくださり、その後もう一度私が奮起できたのもイワグロさんのおかげです。

こうして考えると、本当にたくさんお世話になっていたのだなぁと改めて思います。
誤解されやすい性格の方なので、当時はなかなか正直そこまで素直に思えませんでしたが・・・(^_^;)

離れてみてわかることもたくさんありますね。

それに、イワグロさんの他にも何人の方かおっしゃってくださいますが、ちょっと1年休んだら、また漕ぐの再開してもいいんだぞ、2年でも3年でも何年休んでも、また漕ぎたくなったらいつでも始めればいいんだぞ、と言ってくださいました。

本当にありがたいことだなぁと思います。

これからも、今までと違った立場でボートにかかわっていきたいと思うし、また今までの選手という立場とは違った立場でいろいろな方と交流を持てていけたらなと思います。

Profile

熊倉美咲
熊倉 美咲 (くまくら みさき)
所属:
一般社団法人TMG本部
生年月日:1983年3月29日
血液型:A型
出身地:埼玉県桶川市
出身校:早稲田大学卒
信念:
諦めたらそこで終わり。
今、その時の自分の最大限の力で頑張り続ければ、きっといつか必ずうまく行く時が来る。